小説 おしゃれな奇人たち



  まえがき


 現在ライトノベル「ソーニャとキエフ」を執筆中であるが、もうひとつ、普通の小説を書き始めることにした。


 この小説ではイスラームと趣味人の話題を取り上げようと思う。イスラームは来世での天国を目指す宗教という意味ではキリスト教と共通しているが、決定的な違いがある。キリスト教では現世利益を程度の低い信仰として否定し、来世利益をもっぱら求める。しかしイスラームでは現世利益を求めることは、創造主アッラーの力をより頼むことになり、あれやこれやとアッラーにお願いすることは善いこととされる。私はエジプト人に、「アッラーは全知全能なので、なんでも祈ってください」と言われたことがある…いわく、"Allah, Give me Money! Allah, Give me Wife!" と。


 イスラームではこの世は仮のものとは考えるが、決してこの世を軽んじることはしない。人生を楽しむことができる人はイスラームの教えの範囲内で、人生を楽しんでもいいのである。だから本作では、あるイスラーム教徒の趣味人を中心に、彼の周りに集まってくる奇人変人たちを扱うことにする。


 この小説のひとつの目的は、本作の舞台、広島市内の閑静な住宅地である向洋(むかいなだ)地区を、小説の「聖地」にすることだ。フランスで譬えるなら、ピカソが住んだモンマルトル、モディリアーニの住んだモンパルナス。この小説が、向洋の街に文化的な素養を持った人々をおびき寄せることに貢献したなら、私にとってこの小説は成功作となるだろう。


 大体、趣味人だの芸術家だのと言う人々は奇人である場合がほとんどで、文物に執着する自閉症的傾向を持つ人も多い。私の経験した趣味で言えば、万年筆であったり、フィルムカメラであったり、骨董であったりする。私も趣味人の端くれではあるが、一流の趣味人ほどに突っ走ることができないのが歯がゆいところである。一流の趣味人はモンブラン149の万年筆を12万円とか、ライカの最初のカメラとか、とにかく庶民感覚では計り知れない高額な品を持っている、場合によっては集めているものなのだ。


 だから私は本作で、私自身がなることができなかった「一流の趣味人」たちの世界を書こうと構想を練っている…それは私の憧れた世界であり、お世話になった世界でもある。発達障害の影響でコミュニケーション能力に問題を持つ私が、人前で話せるようになったのは、万年筆あつめという趣味にのめり込んだからに他ならない。毎日のように万年筆でノートを書き、趣味にうつつを抜かして、大量の本を読んで、語彙(ことばの数)をどんどんと増やしたからに他ならない。万年筆あつめをやめた今でも、趣味人であることを辞めるつもりはない…趣味を捨てることは、語彙を捨てることであり、新しい語彙と世界観を獲得するチャンスをみすみす逃すことであるからだ。


 発達障害者にとっての関心事は単なる関心事で留まらない。それは広い世界を知るための媒体の役割を果たす。そしてそれは障害を持たない定型発達の人々にとっても、他人事ではない。この文章を読んでいるあなたも、自分の関心事と趣味を追求することができる。たとえあなたが趣味に回すお金がない貧しい人であっても、趣味人への道は開かれている。あなたにアッラーの祝福がありますように、そして導きのままに、世界観を拡充されることを祈る。