冠崎美作という男について
広島市内の住宅地、向洋新町に住む冠崎(かぶらさき)家は、そのルーツを呉市阿賀地区の冠崎に求めることができる。この一族は江戸時代に向洋へ移住し、大正年間に当時日本の統治下にあった朝鮮で事業を成功させ、さらに昭和戦後年間には、冠崎英雄(かぶらさき・ひでお)がアラブ諸国における事業に成功、一大資産を築き上げるとともに、その過程で英雄とその一家がイスラームに改宗したという経歴を持つ。昭和戦後年間に向洋の大原神社より上の山を切り開いて造成された向洋新町、通称洋光台団地に、豪奢な邸宅を構えて、趣味に贅を尽くし、英雄はイスラーム名と西アジアの君主の称号から、ムスリム仲間からは「アミール・スライマーン」と呼ばれていた。アミールは首長を意味し、スライマーンは預言者スライマーン…旧約聖書のソロモンに相当する人物…に由来する。イスラームの伝承によれば、預言者スライマーンは世界の預言者たちの中でもっとも大金持ちであったという。
この物語はそのスライマーン冠崎英雄が逝去して1年後の2025年から幕を開ける。英雄の膨大な遺産は日本の法律とイスラーム法における相続税を差し引かれた上で、一人息子のアフマド冠崎美作(かぶらさき・みまさか)に引き継がれた。相続税を差っ引いてもなお、一人の人間が生きていくには充分すぎる、有り余る財産を、美作は手にすることになったのである。さらに美作は父の蔵書、コレクション、そしてペンコレクターズクラブの人脈と言う、有形無形の「財産」を受け継いだ、それはフランスの社会学者ピエール・ブルデューが言うところの、決して課税することのできない、課税しようがない文化資本の相続に他ならなかった。美作は無職ではあっても、ブルジョアであり、プロレタリアではなかった。
「それで私は思うのだが」と美作は友人に向けて語った、「資本主義と社会主義はどちらも富の分配のシステムであり、イスラームはどちらの経済システムでも運用できる。しかし、日本の社会主義者とか左翼系の人々は、被害者意識が過剰のように感じるんだな。被害者意識は富める者を貧しくし、貧しい者をより貧しくする。すべての人間が貧しくなるなら、何の意味もありはしないだろう」
「なるほど」と友人の古田佐一は相槌をうった。美作は続ける。
「イスラームでは富める者が貧しい人を、強い者が弱い者を助けるのは義務であり当たり前のことだ、しかしそれは、金持ちや権力者であることが罪であるということを意味しない。…金がなければ美しいものを買えない訳ではないが、美しいものの中でも飛び切り美しいものは、金のあるところに集まるのもまた事実なのだ。大体にして、金持ちがこの世から居なくなるなら、誰が芸術家や文化人のパトロンとなるのか?君だって万年筆画家として生計を立てる以上、注文がなければやってはいけまい、お絵描き教室だけでは限界があるだろう」
「美作さんの言うことにも一理はあると思います、しかし」と、古田の友人で小学校教師の杉村が口を挟んだ。「こういう反論は想定できないでしょうか?つまり芸術のために人間が犠牲になることが健全かどうか、です。たしか芥川龍之介の短編小説だったと思いますが、屏風に最高の地獄絵図を描くために一人娘を焼いた絵師の話があります、そこまで極端でなくとも、芸術を生み出すために、あるいは芸術作品コレクションを維持するために、多数の貧しい人が犠牲になることは善いことでしょうか?それはイスラームの教えにも反するのではありませんか」
「おっと失礼」と言って美作はビニール袋に痰を吐いた。「最近は花粉症でね…それで杉村さんの言うことはもっともだ…イスラームは芸術を否定はしないが、特別な、神聖な意味を持たせることもしない。この世は仮のものであり、来世での天国をこそ追い求めるべきであるからだ。礼拝と善行こそが大切だということは、私も分かっている。しかし」と一旦間を置いて、中国広東省潮州で造られた十錦手の豪華なティーカップに入ったお茶を一口飲み、それから続けた、「私は日本を愛する日本人であり、イスラーム教徒ではあるが、同時に趣味人でもある…亡き父から、幼い頃から趣味の香しき煙で燻されて、興味を持ったものについては書籍も与えられた。この世がいずれ終焉を迎えて来世が来る、と信じていても、この世の美しいものに執着せずにはいられないのだ、これは本当に、理性ではなく、脳神経の仕業なんだ…そして、大勢の貧者が一日満腹になるまで食べられるような大金を、1本の万年筆、1台のカメラにつぎ込んてしまうのだ。まさに脳神経だよ」
「おお、脳神経に乾杯、全ての問題の根源であり、解決策でもある脳神経を祝して!」
古田はおどけるように言った。調子に乗って2人も復唱する、「脳神経に乾杯!」「脳神経に乾杯!常に理性に勝利する、脳神経に!」
ハッハッハ、とひとしきり笑った後に美作が発言した、「いや愉快だ、こうして友人たちと笑い合えるのは。しかし笑いと言えばショーペンハウアーの「陽気こそが幸福の源泉だ」という考え方を思い出すね。我々は随分コレクションに大金を費やし、蔵書を増やすことに大金を費やしてきたが、ショーペンハウアー先生からすれば、本当はコレクションが少なくても、物欲を制御できさえすれば、幸せに生きられるのだろうね」
「それは事実だが、お前が言うと嫌味だな」古田が突っ込みを入れたが、美作は続ける、「いや、俺はイスラーム教徒として、多くの外国人と付き合ってきたのだ。その中には労働者もいれば、在日外国人で困窮にあえぐ人もいたのだ。俺も人助けに身銭を切ることもあったが、やはり自分の散財癖が、イスラーム的に大丈夫なのかと反省することもあるのだよ」
そして美作はイスラームの聖典クルアーンの章句を口にした。「アルハークムッタカースル…」
お前達は数の多いことを競い合っている、
墓に入るその時まで。
いや、お前達は知るだろう、
もう一度言おう、いや、お前達は知るだろう、
いや、お前達ははっきりと知るが良い、
お前達は業火を目の当たりにする、
もう一度言おう、お前達はそれを明確に目の当たりにするだろう、
そしてその日、お前達は享楽について尋問されるだろう。
クルアーンの章句と意味の説明を聞いたあとに杉村と古田が言った。
「それじゃここにいる我々3人はアウトじゃないですか」
「特に美作、お前は真っ先に地獄行きだな、南無阿弥陀仏!」
十字架を背負った若者
「さて、そろそろ今日のお茶会はお開きだな」と古田は時計を指して言った、すでに15時を回っていた。
「ああ、言い忘れていた」と杉村が思い出した、「美作さん、次のペンコレクターズクラブの会合で相談したいことがあるのですが」
「なにかね」
「小学校の教員の同僚を息子さんとともに招待したいのです、同僚の息子さんは少し重い発達障害があるとのことで、20代になったいまでも人と話すことが苦手だそうです。それで万年筆趣味を持ってくれれば、もしかしたら趣味を通して成長してくれるのではないかと、希望を抱いているようです」
「なるほどね、良いだろう」
美作はふたつ返事で承諾した。
「我々の手で青年を、立派な趣味人へと育て上げるのだ、これは面白いことになるぞ」
「それでは今日は、この辺で…」
と言って古田と杉村が外に出ると、
「なんだ!?」
声がしたので、冠崎美作は玄関に向かった。玄関先の、家の前の道路を、木造の十字架を背負った若者がのっしりのっしりと歩いていたのだ。
「これは本当に何なのだ」と3人で訝しがったのだが、「まて面白い、この若者に声をかけてみよう」と美作が思い立った。
「正気かね、君も物好きだね」と古田が呆れながら、「まああの若者は君に任せるゆえ、俺たちは退散しよう」と言って、2人はそれぞれの車に乗り込んだ。
美作は「モーシモーシ、そこの十字架を背負った若いの!」と声をかけた。「なんでしょうか」と若者が返答してきたので、質問をした。
「君が木造の十字架を背負ってうちの前を通っているものだから興味がわいたのだ、十字架ということはクリスチャンとお見受けするが、何のためにこんなことをしているのか?」
「いい質問です」と若者は凛々しい声で答えた、「私はトルストイのような小説を書くことを目指している小説家志願者です。十字架を背負って街を練り歩くことによって、人々に嘲笑されたイエス・キリストの受難を追体験し、小説執筆に活かしたいのです」
「ほう、興味深い」美作は大いに関心を持ち、この若者を招くことに決めた。
「どうかね若いクリスチャン君、私はイスラーム教徒なのだが、我が家で茶でも飲んでいかないかね!そうだ、キリスト教とイスラームの宗教と文学と芸術、この三領域にわたる討論をしようじゃないか、お菓子とお茶なら用意できるが」
若者は美作がイスラーム教徒と聞いて少し身構えたが、決断は早かった、「いいでしょう、イエスの名において受けて立ちましょう!」
そういうことでこの若きクリスチャンは美作の家に招かれた。
「とりあえずその十字架は玄関に置いてくれんか、誰も盗みはしないから」
「わかりました、本当は中まで持ち込みたかったのですが」
「困るよ、泥が床に撒き散らされるじゃないか」
「しかし十字架を常にそばに置き、心にも置きたいのです」
美作は苦笑いした。これは宗教的ナルシシズムではないかと内心思ったが、嫌いではなかった。
(執筆中)